「幸せ」について本気まではいかないけど少し考えてみたら・・・「幸せとは、理想との差がプラスなことである」という答えにたどり着いた。
人生の目的は、幸せになること。
幸せになるってことは、どういうことなのか。
「幸せになった」と感じることは、あまり記憶にないが、
「幸せだ」と感じる瞬間はいくつかあった。
そう幸せとは瞬間瞬間に感じるものであると考えている。
幸せを感じる瞬間とは、
・自分の理想とのギャップがプラスのとき
なのではないか。
幸せの基準が人によって違うことが説明できる。
理想が高い人ほど、現実で幸せを感じにくいと思う。
例えば、
年収1千万円で自由に使えるお金も時間も多い人にとって、
毎日の夕食が高級フレンチであっても幸せでないかもしれない。
一方年収はそこそこ、家庭があって自由なお金も時間も少ないけど、
週3日くらいの頻度で、コンビニに寄って買うアイスで幸せを感じる人もいるだろう。
人は無意識に現実と理想とのギャップを考えているのだと思う。
そして、それがプラスに触れた瞬間に幸せを見出している。
だから幸せになるためには、
自分の理想と現実との線引きをしっかり把握しておくことが重要。
そう簡単にはいかないけどね。
「幸せ」について本気まではいかないけど少し考えてみたら・・・「幸せとは、状態である」という答えにたどり着いた。
人生の目的は幸せになることである。
では、幸せとは・・・?
人は幸せになりたいけど、なれずに不幸を感じている人がいる。
満たされない人生は何が原因なのか。
僕は幸せは「状態」であると考えた。
人生には瞬間瞬間に幸せを感じる時があるからだ。
幸せはゴールでなく、状態なのである。
そうすると、人がいう「幸せになる」というのは「幸せな状態が続く生活」と言える。
状態なのだから、常に流動的なものであるはずなのに、それを続けたい、ということになる。だから難しいのではないか。
人はしばらく同じ状態が続くと慣れてくる。それが普通に感じるのだ。
例えば、「健康な状態」。普段から健康な人は健康のありがたみを感じることは少ない。
でも、病気になってようやく気がつくのだ。「健康な状態がよかったこと」を。
それと同じく、幸せも状態なのだから、慣れてくる。
幸せだった状態が、幸せとは感じなくなるときがくるわけだ。
しかし、人は「幸せな状態が続く生活」を目指している。
これは結構難易度が高いように思えてきた。
「幸せを感じる瞬間」を連続して作っていかなくてはいけない。
慣れない程度、頻度で。
逆にいえば、小さいことでも、「幸せを感じる瞬間」を「慣れない程度・頻度」でつくっていけるのであれば、それは「幸せな状態が続く生活」となる気がしてきた。
大小を問わず、幸せを感じる瞬間。
それを集めるのが人生なのかもしれない。
痩せるためにジムに行ってきた
いつからかわからないけど5kgくらい増えてて、下っ腹がすごいでて、太もも周りもかなり太くなってしまったから、2年前に入会したっきりのジムに久しぶりにいってきてメニューを作ってもらったから、記録。
▼筋トレ
①胸の筋トレ 10回×4パターンを1セット
25kg→20kg→15kg→10kgのパターン。
②足の筋トレ 10回×4パターンを1セット
80kg→60kg→50kg→40kgのパターン。だんだん負荷を落としていく(80%目安)
③腹筋12回×3セット
足を直角にミゾオチを収縮?させるイメージ
筋トレは上半身→下半身→上半身の順番で行うのがいいらしい。
血液を移動させるのにエネルギーをつかうため、部位を上下に変えるのが効率的なんだって。
これはなんでもいいらしい。30分くらいを目安。
全部で1時間くらいの予定。
週1回いけるか、いけないかだけど、とにかく腹を凹まして、
太ももがパンパンにならないようになるまでは、頑張りたい・・・。
年を重ねてしまった
いつの間にか年を重ねてしまった。
2017年は前半、ストレスできつかった。本当にきつかった。
ファッション鬱くらいまで、なっていたと思う。
平日も休日も、なにもやる気がなかった。
イライラもしてたと思うが、昔より我慢できるようになっていたが故に、溜め込んでいた感じもある。
後半は労働環境が変わって、今、なんとか仕事を続けている。
しかし、当時(2017年の前半)は、転職して、2年も立たないくらいで早くも転職活動に手を出していた。(結局、どこも拾ってくれなくて、まだ転職してないけど)
ジャンプの前に、またホッピングしてしまうところだった。
が、やはり1回、転職をすると、転職に対する心理的なハードルは低くなってんだな、って。
すぐ、転職エージェントに相談しちゃったもん。だって、辛いのに、我慢して仕事続けるの、嫌だもん。選択肢、まだあるって思ってたもん。
でも、結局は、もう30になりかけて、可能性も、選択肢も、去年からはだんだんなくなってきている。
そしてエネルギーも。転職するより、今の会社で頑張る方が、楽、なんだよなぁ。結局。
いまの仕事はなにが不満なのか
転職を考えるってことは、少なからず、なにかに不満を抱えているはずでしょう?
そうでしょう?それが給与だったり、やりがいだったり、人間関係だったり、理由は様々だと思いますが。
そして、転職をして、また同じ不満が出てきて、また転職して・・・、
そしてジョブホッパーが出来上がる。
そうならないためにも、自分が何に不満なのか、は明確に書き出しておく必要があると思う。
ということで、書き出してみるぞ
▼ユーザーの顔が一切見えない
・なぜそう思うのか?
→仕事が細分化されたタスクとしてふってくるため、目的や意味・意義などが曖昧
→自身の生活では使わないサービスだから、実際のユーザーがイメージしづらい
・なぜそれが不満なのか?
→ユーザーにとって良いもの、というのが見えず、やりがいが感じられにくい
→ユーザーから直接声が届くこともなく、やりがいが感じられにくい
▼オペレーション的な仕事ばかり
・なぜそう思うのか?
→仕事が細分化されたタスクとしてふってくるため
→会社の体制が縦割りの分業制という風土だから
・なぜそれが不満なのか?
→自分の考えが反映されにくいと感じるから
→だれがやっても一緒で、自分がやる必要性のない仕事だと感じるから
▼自分がやる必要性が感じない
・なぜそう思うのか?
→成果物の良し悪しは、数字ではなく上長の感覚・経験などで決まることが多い
・なぜそれが不満なのか?
→成果を感じにくい
→自身の成長が感じられにく
▼自分が成長している気がしない
・なぜそう思うのか?
→簡単で大量のタスクをこなすだけの仕事だから
→創意工夫をする場面がないから
・なぜそれが不満なのか?
→自分のためになっている気がしない
▼サービス理念に共感できない
・なぜそう思うのか?
→自分とは遠いところで起こっている出来事のよう
→これがあろうがなかろうが、自分の生活は変わらない
・なぜそれが不満なのか?
→一生懸命になれない?
→サービスに共感できない
ん〜、むりやり言語化しました。
むちゃくちゃですね。ただのわがままなのか??
こうしてみると、僕は、
・自分にしかできない仕事
・自分の成長が感じられる仕事
・ユーザーと向き合う仕事
というのをやりたいのかな、と思ったり。
これは今の職場で実現できないのか?
まぁ、いつかはできるでしょう、おそらく。
でも、今は無理かな、と感じます。
この先、僕はどうなっていたいのか
人生のほとんどは、仕事である。
多くの人は、この事実から目を背けることができないと思う。
でも、やっぱり、働かなくても幸せなら働きたくはない。
それが無理なら、せめて楽しく働きたい、僕はそう思っている。
みんなもそうだと思う。
じゃあ、そういった自分の望む人生を実現するために、
僕はこの先、どうなっていたいのか。
▼50歳の時には・・・、
ぶっちゃけ、50歳時点では、ある程度の自由を許されていたい。
好きな仕事を好きなだけ、好きなようにして、それが評価されていたい。
理想だけ言うなら、自分の知識を人に伝えて、価値あるものだと感じてほしい。
もしくは、行政に関わっていて、これからの人たちのために尽力したい。
▼40歳の時には・・・、
半分くらい独立している状態になっていたい。
会社以外からの収入源があって、それが毎月ある程度入ってくるようになっていたい。
(会社以外からの収入源でも生活できるレベルに)
そして、その資金で、新しい挑戦ができるようになっていたい
▼30歳の時には・・・、
上に書いた40歳、50歳になるための準備は、今からしていかないといけない。
そのためには、この時点では、「どう生きていくのか」をはっきりとさせていて、そのスタートラインに立っていないといけない。
今、決めないと、ほんとうにただのジョブホッパーになってしまう。
いや、もう遅いのか・・・?
自分がどうなっていたいか、そのために今なにが必要か、そしてそれが今、満たされているのか。この先、満たせるのか。
慎重に考えなければいけない。そして大胆に決断したいと思う。
僕は仕事で何がしたいのか
仕事選びで最も重要な質問は「自分はいったい、なにがしたいのか」だと最近、感じる。
そして、今、それがわからない。
だから、これまでの転職を振り返ってみる。
書き出してみる。なにか見えてくるはずだから。
1度目の転職は、営業からWebディレクターへの転職だった。
異業種・異業界への転職だったため、けっこうハードルが高かったのを覚えている。
しかし、まだ20代前半。ポテンシャル枠として未経験ながら転職できた。
その時の転職の動機は、「Web業界への転職」の1点だった。
年収でいえば下がったし、会社規模も、知名度(どんぐりの背比べだが)も、
前職の会社の方が市場価値があったように思う。
それでも、スマホ(iPhone3G)が出てきてたりして、インターネットの可能性が、一消費者だった僕にも体感できた。だから、Web業界で一旗あげたくて、転職を決めた、という記憶。
そのとき僕は何がしたかったのだろうか・・・。
今思い返せば、ぼくはスーパーマンになりたかったんだと思う。
実際の雇用契約は別として、一個人として仕事がしたいと思っていた。
プロデュースや旗振りなどの上流レイヤーの仕事をイメージしていたはず。
企画職に憧れていたはず。
企画職って0を1にする仕事だと思っていた。
自分のセンスで、どこまで戦えるのか、なんて考えていた気がする。
ここに、僕のしたい仕事が隠れている気がしている。
だって2回目の転職は、とにかく給与が普通にもらえて、そこそこ有名な会社、という理由だけで決めているから。
そして、僕にとって仕事はお金をもらう手段ではない、ということに気付き出して、嫌気がさしているという現状。
自分の責任・裁量で、自分が何をすべきか、自分で考えて仕事をしたい。
上から降ってくるタスクを、ただ淡々とこなすオペレーターでは、仕事に面白みが、僕は、今は、感じていない。